大阪野音 歴史

大阪野音の幕開けは「歴史」だった。
そしてそれは、僕にはまったく新しい曲に聞こえた。




過去に、もう本当にエレカシに愛想がつきたもう知らん、となった瞬間がある。
それが初めてアルバム「扉」冒頭のこの歌を聞いた時だった。


幾つかの条件が揃っていた。
僕は歌詞がつく前のこの曲、いわゆる「歴史前夜」として知られている演奏を大阪で聞いていた。(⇒昔の記事
そして、「こ、これは、絶っ対に今宵の月のようにを越える大ヒットになる!」と、勝手に一人でいたく盛り上がっていたのである。
大衆の「ど真ん中」でこれが鳴り響けば、世間はエレカシを再発見し、いいものが大手を振っていいと言える空気になる、世界の傾きが少し変わる、うおおおっと。


痛痛しい独善ぶりではあった。
しかし、なにしろその状態でこの歌を聞いた時の衝撃といったらなかった。
両手を拡げて帰還を迎えに行ったら、思いっきり胸を突き飛ばされてふっとんだようなもんだ。
そして宮本があさっての方角、真っ暗な洞穴に向かって絶叫しているのを見るしかない、といった感覚。
歌の前半が、まさか森鴎外の生涯についての叙述に費やされるなんて。
「歴史〜 ソング」ってそりゃないだろう、と。


当時のことを書き始めるときりがないのでやめた。


年を経て理解したのは、この歌が極めて重要な歌だったということだ。
アルバムにしてこの歌から2作前、「未来の生命体」という歌から、宮本は明らかに「堕ちて」行き始めた。
自分を掘り下げ、切り刻み燃やして、そこから何が立ち現れてくるかと見ていた節がある。
そのあまりのえげつなさに僕など、「とうとうやけっぱちかこれ?」とまで思った事があったが、それはあくまで冷静に、透徹した姿勢で取り組まれたプロジェクトだった。
深く深く潜ったところで、扉や風や町丘のあの美しい歌たちが泡のように生まれ、とうとう水上まで浮上して「ど真ん中だ!」と歌うに至った。
その潜水の、最も深いところがこの「歴史」創作だったのだと思う。


僕はしかし、「歴史」をそのような記念碑的楽曲としてしか鑑賞できなくなっていた。
どうしてもこれを単なる音楽としては聴くことができなかった。




大阪野音の一曲目にあのベースラインが流れた時、歓声が湧いた。
僕はことさら、今はこれを真っ白な気持ちで聞いてみよう、と思った。
宮本は、それはそれは丁寧に歌詞を歌っていた。
心を込めて、森鴎外について語っていた。
声の出がいいのか抑揚のせいなのか、なんなのか分からないが、物語としてそれはすっと入って来た。
演奏は、その没入を誘うように淡々と、だがはっきりとした輪郭を持って響いていた。


一番の盛り上がりとなる最後のサビを、宮本はいつも通り強烈に、しかし至ってクリアに歌った。

残された時間の中で
僕ら 死に場所を見つけるんだ
それが僕らの
それが僕らの 未来だ

最後の一音が鳴ってハッと気付けば、僕は突き飛ばされることなく、こちらに向かって歌い尽くした宮本を仰ぎ見ていた。
そこには、ギュッとつまった、撫でることができるような時間の塊、体温の塊があった。
割れるような拍手。
すっと立つ宮本。


僕はこの曲が、復活ライブの冒頭で歌われるべき歌だったと思った。
僕のように大阪でこの曲を聞き、先入観や予断を持ってこの歌を受け止めていた人間に対して、本当はこうなんだぜと伝えたように思えた。
そして宮本の最深度のこの歌は、とりもなおさず宮本そのもののようだった。
復活したんだ、予断を持たずにすべてを聞いてくれ、と言っているようだった。


10年越しの再発見が嬉しかった。
この開幕に引きずられるように、この開幕のおかげで、その日はすべてが新しく感じられたのだ。


扉