大阪野音 涙を流す男

この曲はまだ明るいうちに演られた。
ルーズな感じの曲調が秋晴れの空気感とよく調和して、特に印象深かった。


出だしでトミが、右手前方の地面だかヘリをカカカっと叩いたので、もうその時点で楽しくなる。
サザンロック調というのかカントリー調というのか、シェリルクロウのヒット曲のようなこの軽いルーズ感は、エレカシの楽曲としては稀有な雰囲気である。
イントロのギター、サビの終わりごろに入るバックコーラスの旋律は、最高だ。


もう一つ、歌詞の構造も稀有である。
全編に二人の登場人物が出て来てがっつり掛け合うのは、思いつくところでは6枚目の「絶交の歌」だけだと思う。
シグナルや遁世のような部分的な語りかけとは異なり、全体が劇中劇の様相を示すこの2曲は、独特の雰囲気がある。



曲と歌詞が相俟って浮かびあがらせるのは、通常の境界がなくなって混乱した世界観だ。
対話する二人は作り物の虚構のようでもあり、同時にそれは実在する宮本そのもののようだ。
気楽に聞いて楽しむ類の演奏のようでもあり、同時に歌詞は陰鬱な孤独と拒絶そのものだ。
歌われているシーンからして、楽しき円居の中で絶海の悲しみにひたる姿なのだ。


安部公房の小説のような、境界の混乱。


この日、宮本は歌いながら、この二人を小さく演じていた。
歌詞の一番では、男は差し出された同情と共感の仕草を、躊躇なく拒否する。
二番では、それならと励ましにかかった声をも、首を振って否定する。
しかしてこの男は、一人で閉じこもるでもなく、あえて集いの場でただ泣き続けているという姿。


虚無的であり排外的。まさに絶望、異様な光景だ。
と思った時に気付く。


現実には、この男は円居の中で楽しげな風に語らっているのだろう。
涙と拒絶は、その心の中の出来事であって、表には出てこない。
それに目をやるとグズグズに崩れてしまう気がして、ことさら顔を背けているからだ。
よくみると、この男の顔は僕の顔だ。


この歌が知らない間に、心の涙を吸い取り境界を正しく再配置する。
これはとても優しい、慰撫の歌だ。
そのことに、野音の時に気づいた。


この歌の甘さに心軽くなるから、僕は春からこのかた、この歌ばっかり聞いていたのだ。


ズレてる方がいい(初回限定盤)(DVD付)

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