大阪野音 風に吹かれて

風に吹かれてが聞けてよかった。と思っていたら、不思議なものでこの青春の歌と符合する事件が起こった。
ほとんど野音と関係ないが。


というのも今日、20年前に振られた年上の女性と会食することになったのである。
当時、友人のAと同じタイミングで告白した。
彼女はAを好きだと言って付き合いはじめ、半年後にはそのAにも別れを切り出した。
昨日たまたま帰郷していたAの誘いで、その3人の邂逅があれよという間に決まった。


なにせ20年である。
軽口を叩き合いながら、これぞ大人の会話といった態で近況をやり取りした。
彼女はバツイチ独身で、二人の子供を育てていた。
生活の疲れを感じさせながらも、優しい目で微笑む彼女は相変わらず素敵だった。


Aの方を選ぶと告げられた時には、相当な自我の崩壊があったことを思い出す。
なんで、どうしてと繰り返しては、紛れもない敗北、拒絶、否定の事実に跳ね返された。


以来、何人かの女性との交際を通じて、一度も最後に振られたことがない。
ひどい別れ方を強いてき続けた20年であった。
罪悪感を感じ、それを感じていることにまた罪悪感が募り、大きな塊を飲み込んだように息がつまっていく。
もはやこれが、ありのままの41歳の自分である。
そしてやはり、その根っこにこの古傷があるということを、再認識した。


彼女はそんなことを知りもせず、屈託なく笑ってた。


女性と違い、男性は過去の恋愛を引きずるなどと言う。
女性のことは分からないが、男性についてはその通りとしか言いようがない。
結局は振られることになったAにしても、同じように引きずっていることがありありと分かった。


間抜けな男二人と女の、大人の会話は、案外と盛り上がって終わった。


彼女に振られた翌年、「売れ線」へと転換していたエレカシに出会って急速に虜になった。
そして今だに、この時期の楽曲は僕には特別に感じられる。
「悲しみ」という歌詞に、何とも言えない感慨を覚える。


宮本も大失恋をしたという。
「昨日までの優しさよさよなら、手を振って旅立とう」と今もあのように歌うのは、今だに歌わざるを得ないからかもしれない。
そういえば、その女性も確か年上だったか。


こんな偶然の符合も、僕がファンである一つの理由なんだろう。



明日に向かって走れ ― 月夜の歌

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