「あなたへ」とアンパンマン

「あなたへ」を聴いていると、不思議な気持ちになる。
生と死についての想念にとりつかれてしまう。


子供の頃俺は 毎日精一杯
生きていつの日か 誰かのために
かっこ良く死にたいと
そればかり思って 涙流していた
涙を流してた


中学校の正門横に、少年の銅像があった。
溺れたいとこを助けるために、自らは力尽きて水中深く沈んでしまった学生の銅像だった。
入学式の翌日、銅像の前に立ち尽くして涙を流したことを思い出した。


自己そのものを他人のために投げ出すということは、何故にこれほど美しく感じられるんだろうか。
「何のために生きたか」が、あまりにも明瞭な故だろうか。


子供と一緒に聞く、アンパンマンの歌。

何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのはいやだ!


その通り、いやだ。
生きてるだけで丸儲け、という左翼的なヒューマニズム、生命至上主義は、根本的に間違っているのではないか。
ただ享楽の中に生きて何になるのか。
何のために生きるのか分からない80年。石橋叩いて、それで80年。
それは一体何なのか。
自分の生命を超えたもののために生きて死ぬのが本源ではないのか。
そういう死に様こそが、死に様だけが、生き様なのではないのか。


しかし、ここで大逆転が起こる。
そのように生を捉えたとたん、たちまちに、自分が生きていることの喜びが湧いてくる。
そのように極めて微妙な生を、ただ生きられているというだけで、奇跡的だと感ずる。
その意味でのみ、生命は至上なんであろう。


再びアンパンマンの歌。

そうだ 嬉しいんだ生きる喜び
たとえ 胸の傷が痛んでも

やなせたかしには、特攻に散った愛する弟がいたという。
どんなに胸の傷が痛んだろうか。
それでも、それだからこそ、自分が生きていることは嬉しいんだ。


すべてあなたへ。
果たしてその時、水に飛び込めるだろうか。
そうであれかしと祈る。
そして今この瞬間、そのように生きていることに、感謝する。