ドラマとしての人生

エレカシイースタンユースチャットモンチー
思えばこの数年間、それぞれに重大な事件が起こった。


2009年、吉野寿心筋梗塞、手術。
復帰後のライブでは、かえってことさら心臓を痛めつけるような気迫と覚悟に圧倒された。


2012年、チャットモンチーが衝撃の2人体制へ。
純粋な2ピースなので、3人の頃の曲は基本的にもう演れない。
その後の初シングル「満月にほえろ」が凄かった。

君は何を感じてる?
「大丈夫」はもう誰も言わない
だから行くんだろう
満月にほえろ 隠したその牙で
満月にほえろ 悲しみ越えてゆけ
満月にほえろ この歌を止めるな

20代仲良し女子二人の、この孤高の凄みに泣けた。


そして2013年、我らがエレカシ
休止を経て、すべてあなたへ、と歌う。


それぞれがドラマであり、それぞれに「変身」があった。
僕の苦境も同様に、自分が変身する契機かもしれないぞと、僕に思わせてくれる。
いや、それにしては、まだまだ苦しみが足りないようだ。
こんなもんじゃない。
悲しみも足りない。
まったく足りない。
「扉の向こう」の映像で、宮本がそう書いていたのを思い出す。
すべてを晒して、変わりゃしないはずの自分をそれでも変身させようとしていたのかも知れない。


追い込んで、苦しみ悲しんで、変身して浮上する。
ミュージシャンだろうがサラリーマンだろうが、生きるってそういうことだと、僕に教えてくれている。
地球の片隅でなんの変哲もなく、しかしドラマとしての人生を生きること。
きっとできる。