風に吹かれて

かんかん照りの中をふうふうと歩く。ぶわっと吹く風の心地よさに意識が飛びそうになったら「風に吹かれて−ピアノバージョン」の季節である。しばらくコンサートで聞いてない気がするが、今年も屋外では演奏されるのだろう。

去年、BRUTUSという雑誌の「ニホン語で歌おう!」という特集記事で、松浦弥太郎という人が心に響く歌として「風に吹かれて」をあげていた。

BRUTUS (ブルータス) 2008年 9/1号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2008年 9/1号 [雑誌]

他の人が挙げた他の歌の歌詞があちこちに書かれているそのページには、24ポイントくらいの大文字で、この歌のサビの部分が書かれていた。

さよならさ 今日の日よ
昨日までの優しさよ
手を振って 旅立とうぜ
いつもの風に吹かれて

そのページの中でこれは明らかに違和感があった。同時代の「心に響く」歌と比べると、あまりにも普通で平易でそのまんまだったから。異質なほどの普通。そこにはなんのひねりもなくなんの含意もないと思えた。


宮本がライブの途中でこの曲を解説するとしたら多分、「今日にさよならして、風に吹かれて旅立っていこうという歌です」などと言うだろう。いつもの、そのまんまかい、という解説になるだろう。そして、今日にさよならして風に吹かれて旅立っていこう、と思って歌うのだろう。


なんのひねりも含意もない普通の歌詞をあたりまえに歌う歌手。そしてそれが心に響く。不思議な気もするが、当然のような気もする。そういえばこの歌では他にも、しきりに「普通の」「あたりまえ」「いつもの」と歌われているがそれは、あたりまえのものはいつだって振り仰げば特別な瞬間だと歌っているんだったか。いつもの風は目を閉じれば旅立ちの風になる。


同じようにこの普通の歌詞の4分強は目を閉じればいつも特別な時間になる。この歌を聴くとき僕は、いつだって間近く真正面に、宮本に捉えられる。


いま、ほとんどこの歌しか聞いてない。ピアノ楽譜作成を中途半端でほっぽったまま1年近くがたったが、夏本番までには完成させようと、仕事帰りに見つけた貸しピアノ部屋でコツコツ練習しながら作っている。2週間で60分とか本当にコツコツ。蔦谷アレンジの完コピ、「一音たりともCDのまま」を目標に精査すると前半部分も書き換えることになったので、たきさん皆さんすみません。