Sky is Blue(2)太陽の重量

「昇れる太陽」では多くの歌でまさしく“昇れる太陽”が歌われている。そしてその直前に主人公(宮本が最近こう言っているので倣う)の追想が必ずはいるという法則性がある。「Sky is Blue」「あの風のように」「おかみさん」「It's my life」「ジョニーの彷徨」いずれもそうである。


特に「Sky is Blue」ではストレートにそれが書かれている。

青春の血たぎる少年の頃俺は
あんなにも物狂わしく憂鬱だった
今日も昇れる太陽・・・

分別を知り初むる少壮の頃俺は
あんなにももがいて優しさを求めた
今日も昇れる太陽・・・


この長い射程の追想の後にいつも描かれているのは、だから、万感の思いを込めてふたたび「曙光」の中に立つ人の姿だ。くすぶり揺れる思いがあろうとも進んで太陽の光を浴びようとする人。


そのため、この人と対比される太陽の重量がすさまじく大きく感じられることになる。それは「この毎日がいつしか重たくのしかかった」重みであり「動かぬ空」の重みだ。いってしまえば、シーシュポス的な重みでありニーチェ的な重みだ。


それを「見上げ」「受け止め」ようとしているからこそ、このアルバムの重量もすさまじいのに違いない。