シグナル(1)その美しさ

 ここまで、町丘の全部の曲がネガティブ一色であるように書いてきましたが、アルバム『Starting Over』の立ち位置をはっきりさせようとして、ことさら偏った書き方をしてしまいました。というのも、町丘の楽曲のうち、“シグナル”と“なぜだか俺は祷っていた”は、他の曲よりも『Starting Over』とのつながりが強いように思えるからです。特に“シグナル”は、過去を引き受ける態度と未来への視線が、数日前に書いた『Starting Over』でのそれらとほぼ同じだと思います。

 そこで、1ファンの僕なんかが言うまでもなく大名曲であるところの、“シグナル”(歌詞)について思うことを書いてみます。大体以下のようなことです。

 

  1. 出だしの美しさ
  2. 『俺の道』収録の“ろくでなし”との関係
  3. 「どの道俺は」という言葉の意味
  4. 二人称の”キミ”“あなた”が指す者、またはそれを話している者
  5. 「花」が意味するもの


 まず1番の歌詞です。夜遅く帰宅する男が、帰途なにげなくベンチに座り来し方行く末を思う、ただそれだけのことなのに、なんでこんなに美しいんだろうかと聞くたびにしみじみ思います。当然メロディーはあるんですが、それを抜きにしても。

夜はふけわたり 家までの帰り道
町を見下ろす丘の上立ち止まり
はるか、かなた、月青く
俺を照らす 街灯の下
ベンチに座り、自分の影見つめてた。 (シグナル)

  「ふけわたる」が本当にいい言葉だし、なんといっても「はるか、かなた、月青く」が美しい。僕はこの青い夜空、プルキニエ現象というらしいですが、これが歌われているエレカシの歌に例外なく「やられて」しまいます。“真夏の星空は少しブルー”“ろくでなし”“甘き絶望”そしてこの“シグナル”。とくに“ろくでなし”をはじめて聞いたときには、「青い光で」本当に涙が出ました。おおげさでなく。

 「青い月」でイメージされる情景は、柔らかなやさしさに守られた純粋で無垢で力強い思い、そしてそれら一切のはかなさ。この過剰に感傷的でロマンチックで「お涙頂戴」的な情景は、しかし宮本の声で歌われると、とことんリアルで、えもいわれぬ美しさになると思うんです。


 しかし「シグナル」の歌詞1番の美しさは、「自分の影みつめてた」までのこういう叙情的な描写だけによるのではないと思います。歌詞はここから一転して、過去を振り返り未来の死も射程にいれた内省の告白になるのですが、この転換がとても自然で鮮やかです。

 この転換によって、悲しみを思ったこと、いま泣きそうになったのをこらえたこと、自分の残された時間への切ない願い、これらすべてが歌われている間中、時間がとまったように「ベンチに座り自分の影みつめ」続けている男の姿とベンチと街灯、弱く青く照らされた家や山といった光景が脳裏にとどまり続けます。それがひたすら美しいのです。


 さらにいえば、この歌詞で男が泣きそうになり涙をこらえたのは、「やさしさもとめ 日々をうろつきまわり・・・」という回想の直後です。「・・・」と歌詞にわざわざ書かれている部分です。そして実際に、“寒き夜”を歌いながら宮本が泣いたのは、「寒き日に古い地図を持って町に出て、ポケットに手をいれ遠くをみて歩く。お前の街まで出かけ行く」という箇所でした。つまり「やさしさもとめうろつきまわった」ことを歌ったときでした。これらは、次のことを言うのに十分な附合だと思います。

 「なくなよ男よなくな」という演歌調の歌詞は、一歩違えば空々しい・くさいセリフですが、真実の回想、真実の内省を経て実際に涙をこらえながらそれを歌う男の姿は、桁違いに美しいのです。


 えらそうですが、まあいいや。続きます。


町を見下ろす丘