はてさてこの俺は

深夜0時に大阪駅の階段を呆然と昇っていけば、口から自然とこぼれるのが「はてさてーこの俺は〜♫」


電車の中で酔っ払いに絡まれた。
カッとなって罵り返し5秒ほど睨みつけたら、シュンとなった。
その間に、なんだかもう死んでもいいやという感覚があったので、向こうも怯んだことだろう。
あらためてフラフラしてるその男を見ると、どう考えてもこちらに脅威を与えられる状態ではない。
このおっさんも「かれこれ〜何十年〜♫」だなと思うと、無性に可愛らしく愛おしくなってしまった。
そのまま二人並んで吊革にぶらさがり、15分ほど揺られていた。


最近はなにやら、カッとなりやすく、自暴自棄になりやすい。


はてさてこの俺は、を聴く。
このような歌い方をした曲は、これまでなかった。
歌っているようであり、語っているようでもある。
声のようであり、楽器の音色のようでもある。
ピアノの一音一音のタッチを微妙にコントロールするように、全ての音節に表情が与えられている。


通常のポップスの楽曲構成を無視して、この歌には1番も2番もサビも大サビもない。
ただ一直線に最後まで、次々と旋律が展開して行く。
繰り返しがなく、その先はまっすぐに開けている。
だからこう感じる。
これは「開放」を志向した曲であり、「解き放つ」ための歌だ。


今夜は寝ちまうかい、と独り言ちて寝床へ入り、しんとした中でふいに、訳もなく胸が傷む。
この感覚。
何度聴いてもこみ上げるものがある。
赤き空よ、の「歩いて行くしかないのに、立ち尽くす胸を掻きむしる 思い出に」に匹敵する、強烈な共感を覚える。


この歌はすごい。
同じテーマでありながら、こんなにも違う。
こんなにも新しい。
これこそが創作だ。仕事だ。
宮本はDVDでのあの様子で仕事をするから、これほどまでに人の胸を打つものがアウトプットされるんだ。


僕はそれを分かってる。分かりすぎてる。
ならやれよ、ということだ。