ZEPP OSAKAの余韻

前記事のコメントの最後で「サンキューまた会おう」などと書いて、もう本当に、苦笑、という感じなのだが、もう一度本文を読み返すと、あちこちでエレカシ的なものを真似ようとしていることに気づく。そもそもライブでも、宮本が手を固く握り締めたときなんか、僕の手も自然と握り締められる。こういうのはきっと、言葉や身振りになる前の、僕の意識できない体の中が真似しようとしているからだ。


ミラーニューロン、というとても素敵な科学的知見がある。

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)は霊長類などの動物が自ら行動する時と、その行動と同じ行動を他の同種の個体が行っているのを観察している時の両方で活動電位を発生させる神経細胞である。したがって、他の個体の行動に対して、まるで自身が同じ行動をしているかのように"鏡"のような活動をする。(→wikipedia)

すばらしい。だが、小さな小さな神経細胞の話で、それがどのように人間の心理や行動と関係があるかは研究中らしい。そんな固いこといわんでもええですやん。つまりこういうことですやろ。

僕がZEPP OSAKAで宮本の躍動を、音を、その情動の顕れを、見ている。そのとき僕の中の「何か」は、「まるで自身が同じ行動(宮本の行動)をしているかのように"鏡"のような活動をする」! この「何か」の一点で、僕はエレカシとつながって一体化することができる!ホントかよ!

その前に、この「何か」は、いま見ている行動がいったいなんなのか知る必要がある。そこで、僕の体の中にある記憶をたどり、あのように心ふるわせ、あのように感極まり、叫び、切なさで胸つぶれ、瞬間を全身全霊で過ごした、そういった記憶を呼び覚ます。

そして、こんどは僕に、いま見ているのと同じ行動をさせようとする。この宮本のように振舞え、あの瞬間のように感情をとき放て、いま聞いているエレカシの音のように世界へ響かせろ。それが巨大すぎるときには、僕の肉体はオーバーフローしてしまい、その「何か」の命令は涙となってあふれだすのだ。

いってみりゃ、そんなとこだろうが、うーん、スルー推奨。