宮本とファウスト(ROJ337インタビュー)

ROJ337のインタビューを読んだ。
冒頭のファウストの話をきっかけに、インタビューを通じて大きく2つのことを話してくれたように思える。それぞれ面白かった。

ひとつは、エレカシのいわゆる「ニュー・モード」としての現在に至る道を、ゲーテの『ファウスト』のプロットに重ねて話していること。こちらは分かりやすい。
もうひとつは、歌詞の価値についての話。こちらは分かりにくい。「紋切り型」「引用文献」「素直に歌う」ということが絡み合って、なにかが話されているように思う。


 とりあえず分かりやすいほうだけ書いてみる。


 ファウストにとって「あらゆる喜怒哀楽を実現できる場」は、メフィストに連れられた数々の時代・舞台だった。宮本にとってそれは、「町を見下ろす丘」だったという。当時のインタビューでよく聞いた、自分の過去や歴史を、力を抜いて自由自在に鳥瞰できる立ち位置、という意味だろう。自由自在、というところが共通しているのかもしれない。


 そうだとすれば、「風」以前の時期は、ファウストメフィストに会う前の状況に重なるはずだ。実際、ファウストの一番初めのセリフには、「なんでえ結局なにも分かりゃしねえ」(町丘だけど)があり、「月の夜よ 暗黒の夜に響かしむ はかなき光で」があり、「真夜中の田舎道で 闇の向こうに月が見えたとき」があり、「篭り居る部屋はいつもの調子」があり、「積み上げられた本の山」がある。さっき読み返して気づいた。確かに重なる。


 そして、メフィストにつれられた場でも満足することはなかったファウストが、とうとう最後にたどりついた場所、「時よ止まれ 君は美しい」と呼びかけざるを得なかった瞬間とは、国土を開墾し海を堰きとめ続ける人々とともに生きること、「日々自由と生活とを闘い取らねばならず、それゆえそれを得るに値する人々」とともに生きることだった。宮本は、このゲーテの言葉に、「光」「仲間」「一生懸命」「素直」などを使って表現する現在の心境を、重ねているんじゃないか。


 「ニュー・モード」エレカシのシングル4枚は、身近に現れたそういう人々への信頼から生まれ、メジャー/マーケットの中にいるであろう、そういう人々へ届けようとしている歌なのかもしれない。