死に様こそが
寒波の前とは言え、凍えるような未明の河原に立って川面を眺める。
村外れに住む知識人として、その人の頭脳にはプラトン以来の知の体系がギッシリ。しかし河原に立ったその人の口からはこういう言葉が出ただろう。
「もうめんどくせえや」
甘き絶望。
大衆なるものを批判し、また批判し、絶望の淵にあってだがその人の顔は穏やかである。
昭和の小唄を口ずさみ、すっくとした精神できっぱりと入水した。
西部邁氏が死んだ。
宮本浩次、吉野寿、西部邁。
僕の精神の上に、確かに形を残す三人。
中道も右翼も左翼も関係なく、西部邁氏の雑誌タイトルである「表現者」そのものの三人。
だから、このエレカシのブログで西部邁氏を追悼するのは適切なように思えた。
西部邁氏の著作を読んでる時に頭の中でなるメロディーは、いつも「ポリスター」だった。
やつはとっくの昔に怒りを忘れ
開いた口からよだれがタラタラ
付き合いきれねえ 奴らのノリにゃ
何をしてても全てはポーズ
笑い声さえ全てはポーズ
総和を祈ろう全てはポーズ
何よりも民主主義を批判し、大衆を批判し、大衆でない「私」がどこまで強くなれるかを身をもって示してくれた人。
「私」は死なない。なぜなら歴史と伝統が言葉を育み、「私」は言葉でしか表現されないということは、「私」は死ぬはずもない。なぜなら歴史は連なって進んでいくのだから。
歴史song。死に様こそが生き様だ。
僕もそのようにして死にます。
合掌