大阪最後の夜に

10月1日から、長らく住んだ大阪を離れて東京で勤務することになった。


宮本が愛する東京。良くも悪くも日本の中心であり続ける東京。大阪人からは愛憎入り混じる、魅惑の土地。大阪最後の夜を気の置けない後輩と飲みながら、44歳にして長渕剛の「東京青春朝焼物語」が口をついて出るものだ。


今日から俺 東京の人になる
のこのこと来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと東京の人になる


東京の会場のライブに行くぞと独りごちて会計のため席を立った時、有線からこの歌がながれた。



俺は知ってる 誰も未だ知らない街を
風に吹かれて
孤独な旅に出よう

エブリバディ 新しい旅に出よう!


いつも以上に、エレカシに勇気づけられたとともに、宮本さんにようこそと迎え入れられたような気がしたのだった。

生きている証

お客さんと呑んだ。
男一匹、仕事を成し遂げる為に必要なものは、知識でも経験でもなく、「強い思い」ただそれだけでいい。


古い秩序は 破れて空の彼方
強い思いだけが 生きている証


今のおのれを 乗り越えてゆけ


これは真実というものだ。エレカシはいつだって、真実を歌っていた。

ある人物とエレカシとの出会い

五つくらい年下の後輩が職場にいる。
彼は音楽をやっていて、ドラム、ボーカル、ギターとなんでもこなす。特にボーカルはなかなかのものである。全く無名の頃のサンボマスターやらレキシやらを僕に勧めてくれていたことから、音楽シーンに敏感なのは確実である。


エレカシのコンサートに一回、イースタンユースのライブに一回、連れ立って行った。特にエレカシの方は相当楽しんでいたようだが、特段のファンではなかった。メッセージはどうでもよく、「音を楽しむ」的な、いかにも音楽通と行った感じの振る舞いやコメントをしていた。隣でボロボロ泣きながら見ていたこの先輩は、果たしてバカか間抜けに見えていたこと必定である。


20代の頃から仕事はマイペースだった。アマチュアで続けている音楽と、プロフェッショナルであるべき仕事とが、同じくらいか前者に比重があるくらいで、かといって仕事に切れ味があるわけでもなく、僕の目からはナマクラ刀そのものだった。「根拠のない自信こそが根拠である」というのは僕の好きな言葉だが、それを余りにも地でいくもので、10年前には僕も声を震わせて怒鳴りつけたことがある。


結局彼に影響を与えることはできず、あいも変わらずマイペースで仕事をこなしてる彼を僕は幾分かの淋しさと無力感を持って眺めながら、仕事上の便宜的な関係を続けていくこととなった。僕に対して、年嵩の人間を認めたくないといった感覚だろうか、妙に突っかかったりしてくる延長で、ポロっと僕が話したエレカシの近況などにも、合わせて冷笑気味に応答するといったいけすかない感じを出してきていたものだった。


それがここ数年、さすがに彼も仕事上の様々なよしなし事に苦労し始めた。顔つきが変わり、飄々とした中にも切迫感を感じるなと思っていたところ先週、職場の飲み会で斜め向かいに座った彼がふと、「最近エレカシが沁みるんです」としみじみ言った。半ば恥ずかしそうに、半ば切なそうに。


エレカシなんか気にならないようになりたい」
「でも何故か歌が引っかかってしまう。手を止めて聴いてしまう」


僕は「おお」と大袈裟に驚いてみせ、よく分かるよといいながら特に話を拡げるわけでもなく、隣の女の子に熱っぽく語り始める彼をただニヤニヤと眺めていた。
もしかしたら、音楽を真剣にやっている彼には、仕事上でなだめすかしても影響を与えられなかったものが、音楽を通じて長い時間をかけて少しは影響を与えられたのかもしれない。


そんな気がした。ここ最近で、一番嬉しい出来事だった。

綱渡りで飯を食べるということ

オフクロが用意してくれた晩御飯を
テレビを見ながら俺
綱渡りで食べていた
(「オレの中の宇宙」俺の道)


僕は文学も絵画も音楽も、経済も歴史も文化も、何一つ分かっちゃいないけれども。
このような、「あの頃のオレ」の表現が、とてつもない何かであることは分かる。


すげえ表現力だ!
感動して世界と時間がぐるぐる回ってるようで、宇宙空間的だ。
ギリギリの足場で、爆発しそうな苛立ちや蠢く性欲を必死でコントロールしながら、味噌汁を飲んだ。
30年越しにそれをまざまざと蘇らせ、あの時も俺は生きていたし、今も俺は生きてることを思い出させてくれた。


俺の道

俺の道

2017.4.29 岡山市民会館

前日から岡山に来て、名物の鰆の刺身、ママカリなどを肴にハイボール糖質制限中)。当日はコンサート前に吉備津神社をお詣りし、あとは岡山城をぼーっと眺めていた。どこまでも広がる春の空から強めの風が吹き、終始心地よかった。4月29日という日に必要なものが全てそこにあった。
岡山に来たのは初めてだったが、素晴らしい町だった。関西圏以外の都市は、徳島、松山、福岡、金沢、名古屋といったところをよく知っているが、大阪やら神戸やらも含めてそのどれよりも居心地の良い、広々とした、センスいい感じの街並み。落ち着いてて、思慮深い人たちが少しずつ発展させてきた町、といった感じだった。


一方でコンサートは、宮本が最後に「一生忘れない」と言って去っていったほど、熱く、すごい盛り上がりだった。街の落ち着きと人々の熱狂。僕もきっとそれを忘れない。


当日、岡山城を川越しに眺めながら、ビールをあおって大量の糖質を取り込みつついざ岡山市民会館へ。

入り口には4人のサイン。


一曲目、歴史。大阪以降、この都道府県ツアーの固定オープン曲になっているようだ。違う町に行って同じ日本の、でも違うその地域なりの歴史を感じる。曲のテーマは明治期の文豪だが、それこそ各土地土地で当時からその小説は読まれ、同じように時間を刻んできただろう。岡山で町を歩いてこの宮本の歌を聴くことで、そういうことを再認識したように思った。
岡山で聴いた生命賛歌も、そのように感じた。


仕切り直すような2曲目「今はここが真ん中さ!」から、宮本照れながら曰く「間口を広げるといった趣旨」であろう、19曲目「俺たちの明日」まで代表曲のオンパレード。エレカシを聞いてみようかな、と思って会場へ来た人は、ガストロンジャーの後の「やさしさ」で度肝を抜かれたんじゃなかろうか。エレカシ数百曲のうちズバ抜けてテンポが遅いこの歌が、なんでこんなに熱量をもって響くのか。ガストロンジャーの早いドラムもギターリフもないのに、目を瞑って下を向いて聴くような曲なのに。


宮本の歌は、一貫して「もどかしさ」の表現なのかもしれない。やさしさでは10代の宮本のもどかしさが、ガストロンジャーでは30代のそれが、ぐるぐると渦巻いて胸に響いて来る。いま50歳の人がそのように歌っている、歌えているということに、いちいち感動してしまう。


第2部は「ズレてる方がいい」から始まった。大阪でもそうだったが、1部と2部では明らかに宮本のモードが変わる。1部ではRAINBOWやガストロンジャーなど以外の大半の曲で、宮本は「歌っている」つまり、声を楽器としてコントロールし純粋に音楽として「演奏」している感じ。それが2部になると、楽器の中から何かぐわっとしたもの、咆哮といったものが出て来て、叩きつけられるような感じが加わる。


この日は、それが会場を完全に支配した瞬間があった。「ズレてる方がいい」の最後、全ての楽器が鳴り止んで宮本がアカペラで「ズレてる方が、いい〜」と歌い終える箇所。「いい〜」と歌い始めてイ音を伸ばしていくうちに、みるみるそれは太さと圧力を増し、あれよという間に、最後は声なのか何なのか分からない強烈な音になって突然、止んだ。静寂の中で会場が一瞬どよめいた後、割れんばかりの拍手と歓声。
隣で連れがひやーという顔で僕を見たが、僕も震えて卒倒しそうになってた。
それが咆哮。地震や台風のような自然の暴力に触れて畏怖するのと同じような、生身の人間への畏怖を感じざるを得ない、本物の咆哮だった。


コールアンドレスポンス、生命賛歌からファイティングマンまで、そういった咆哮含みのそれらは、音楽としての秩序、旋律やリズムという秩序を保ちつつ渦巻く「混沌」という気がした。


友達がいるのさ、が美しく響いて終演。大阪城ホールと比べ物にならない、ホールとしての音の良さに感謝しながら大阪への帰路に着いた時には、動き疲れ泣き疲れてぐったりしてしまった。


岡山の街とあの演奏は一生忘れない、僕も。




2017/04/29(土) 岡山市民会館 セットリスト(ekdbさん)
01.歴史
02.今はここが真ん中さ!
03.新しい季節へキミと
04.ハロー人生!!
05.デーデ
06.悲しみの果て
07.今宵の月のように
08.戦う男
09.風に吹かれて
10.翳りゆく部屋
11.桜の花、舞い上がる道を
12.笑顔の未来へ
13.ハナウタ〜遠い昔からの物語〜
14.3210
15.RAINBOW
16.ガストロンジャー
17.やさしさ
18.四月の風
19.俺たちの明日
20.ズレてる方がいい
21.奴隷天国
22.いつか見た夢を
23.コール アンド レスポンス
24.生命賛歌
25.TEKUMAKUMAYAKON
26.夢を追う旅人
27.ファイティングマン
28.友達がいるのさ(アンコール1)

3210… 嘘じゃない

RAINBOW(通常盤)

RAINBOW(通常盤)


最新アルバムの一曲目「3210」は、単純にカウントダウンの意だとずっと思っていた。ところが、wowow大阪城ホール映像を繰り返し見ていたところ4回目、開演時のスナップ映像をぼんやり見ていて啓示が降りてきた。


エレファントカシマシのデビュー日付は、3月21日。
なぜ気付かなかったのか不思議なくらい。「3210」のあの開放系のホーンの響きは、エレカシ30年目の再デビューのファンファーレだったのだ。


そう気付いた時は、周りの音がすーっと引いて、僕の知るエレカシのすべての情報が嵐のように頭を巡った。


それでRAINBOWに「ヒーロー」が出てくるのだ。
デビューアルバムの一曲目、ファイティングマンで「悪い奴ら蹴散らし」「正義を気取った」ヒーローの30年後の姿が、宮本の姿が、RAINBOWで歌われている。


その人は、50歳にして足元が崩れ落ちていく感覚を持ち、街のざわめきの中で何もかもが自分を追い抜いて行く感覚もあり、而して見上げれば変わらぬ月を感じながら、30年前に歌った通りヒーローであり続けた。


それが宮本さ。一切合切を心に抱いたヒーロー。


30年前の自分に歌うと共に、「ありがとう 幸せだったよ」と30年後80歳の自分へも歌う、死のイメージの中で歌う。エレファントカシマシと宮本の、誕生と死と再生が僅か4分そこらで歌われているとは。嘘じゃないのだ。


本当に、なんというバンドか、なんという存在かと思う。


感動的

数え切れないほど、テレビ雑誌で宮本を見る。ユニバーサル移籍直後の比ではない、怒涛のメディア露出。


何が嬉しいって、その全て、少なくとも僕が見た全ての場面で、宮本とエレカシが温かく迎えられ尊重され、祝福される様子が見られることである。
相変わらずキワモノ扱いされようが(実際キワモノなのだろう)、そのようなものとしてそのまま広く人々に受け入れられて、そうして築かれた親密な関係が僕の目に見える、ということが、とにかく嬉しい。


一部の、特殊なものとしての存在が、その特殊さをぶらさずに完徹することで、斯くも見事に普遍性を獲得したという現象は、感動的である。


それは、人間個人、誰だって孤独で固有で特殊なのに、いつの日かみんな普遍的なものに合一され祝福されるという予感を指し示すようで、感動的である。


全てのものがやがて報われ、
全てのものがいつか巡り合う


少し大袈裟すぎるかもしれない、これは。