ある人物とエレカシとの出会い

五つくらい年下の後輩が職場にいる。
彼は音楽をやっていて、ドラム、ボーカル、ギターとなんでもこなす。特にボーカルはなかなかのものである。全く無名の頃のサンボマスターやらレキシやらを僕に勧めてくれていたことから、音楽シーンに敏感なのは確実である。


エレカシのコンサートに一回、イースタンユースのライブに一回、連れ立って行った。特にエレカシの方は相当楽しんでいたようだが、特段のファンではなかった。メッセージはどうでもよく、「音を楽しむ」的な、いかにも音楽通と行った感じの振る舞いやコメントをしていた。隣でボロボロ泣きながら見ていたこの先輩は、果たしてバカか間抜けに見えていたこと必定である。


20代の頃から仕事はマイペースだった。アマチュアで続けている音楽と、プロフェッショナルであるべき仕事とが、同じくらいか前者に比重があるくらいで、かといって仕事に切れ味があるわけでもなく、僕の目からはナマクラ刀そのものだった。「根拠のない自信こそが根拠である」というのは僕の好きな言葉だが、それを余りにも地でいくもので、10年前には僕も声を震わせて怒鳴りつけたことがある。


結局彼に影響を与えることはできず、あいも変わらずマイペースで仕事をこなしてる彼を僕は幾分かの淋しさと無力感を持って眺めながら、仕事上の便宜的な関係を続けていくこととなった。僕に対して、年嵩の人間を認めたくないといった感覚だろうか、妙に突っかかったりしてくる延長で、ポロっと僕が話したエレカシの近況などにも、合わせて冷笑気味に応答するといったいけすかない感じを出してきていたものだった。


それがここ数年、さすがに彼も仕事上の様々なよしなし事に苦労し始めた。顔つきが変わり、飄々とした中にも切迫感を感じるなと思っていたところ先週、職場の飲み会で斜め向かいに座った彼がふと、「最近エレカシが沁みるんです」としみじみ言った。半ば恥ずかしそうに、半ば切なそうに。


エレカシなんか気にならないようになりたい」
「でも何故か歌が引っかかってしまう。手を止めて聴いてしまう」


僕は「おお」と大袈裟に驚いてみせ、よく分かるよといいながら特に話を拡げるわけでもなく、隣の女の子に熱っぽく語り始める彼をただニヤニヤと眺めていた。
もしかしたら、音楽を真剣にやっている彼には、仕事上でなだめすかしても影響を与えられなかったものが、音楽を通じて長い時間をかけて少しは影響を与えられたのかもしれない。


そんな気がした。ここ最近で、一番嬉しい出来事だった。